「新紙幣の人物って誰?」「新紙幣の発行はいつから?」
「新紙幣のデザインは?」「新しいお札の人は何した人?」
4月9日、政府が新紙幣の発行について発表しました。
日々の生活の中で使用する紙幣が刷新されるということで、その新紙幣に起用された人物の詳細について、誰もが少なからず疑問を抱いているはず。
私たちの生活に新しく導入される新紙幣に採用された人物の経歴・功績をはじめ、その他新札についての情報をまとめました。
500円硬貨も!刷新されるお金たち
「新紙幣発表」と、お札ばかりが注目されていますが、実は500円貨幣も刷新されることが今回の発表に併せて公表されています。
しかも、後述しますが新・500円玉は新紙幣よりも一足早く導入される予定です。
今回の政府の発表で、下記のお札・硬貨の変更が決定されています。
●五百円貨幣
●日本銀行券一千円
●日本銀行券五千円
●日本銀行券一万円
1円玉・5円玉・10円玉・50円玉・100円玉の少額貨幣は変更されません。
また、新紙幣・新500円貨幣が導入された後も、現行のお札や硬貨は引き続き使用可能です。
新紙幣の発行はいつ?
新紙幣についての情報が公開されましたが、実際にいつから新しいお札・500円玉が流通されるのでしょうか?
財務省のホームページの発表によると、発行時期は下記のとおり。
【発行時期】
●新日本銀行券:2024年上期を目途
●新五百円貨幣:2021年上期を目途
早くも、2年後には新しい500円玉が流通することになる予定なのです。
千円札・五千円札・一万円札の発行に関しては2024年上期が目途なので、あと5年ほど。
近いような遠いような未来の話に、少々胸が弾む思いがしますね。
デザインが変更される理由
新紙幣が発行されると発表があったのが4月9日。
新年号「令和」が発表されて間もない為、年号の変更に時期を合わせたのではないかという憶測も一部でささやかれていました。
しかし、実際には、紙幣のデザインはおよそ20年毎に変更されており、前回が2004年(20年前)、前々回は1984年(40年前)に紙幣の仕様変更が実施されています。
政府のコメントにおいても、新年号の発表とは関係なく、偶然にも時期が重なっただけとのこと。
紙幣のデザイン変更は、紙幣の偽造防止対策として定期的に行われています。
新紙幣の人物と功績・経歴
さて、新紙幣・新500円硬貨それぞれの発行時期を理解したところで、気になるお札に描かれる人物とその功績について紹介していきます。
新千円札:北里柴三郎
画像:新壱千円札「北里柴三郎」 – 財務省HPより
新しい千円札の表に肖像が起用された人物は「北里柴三郎(きたさと・しばさぶろう)」。
1853年誕生、現在の熊本県阿蘇郡小国町出身の細菌学者です。
その偉大なる功績から、「日本の細菌学の父」と呼ばれています。
破傷風の血清療法を確立
北里柴三郎は、破傷風を中心とする伝染病の研究に取りくんだことで有名。
ドイツの細菌学者ロベルト・コッホの下へと留学し研究に励む中で、破傷風菌の純粋培養に成功しています。
この「純粋培養」とは、師匠にあたるコッホが開発した病原菌発見に役立つ培養法であり、肉汁をゼラチンで固め、その上で同一種類の細菌を一カ所にまとめて育てる手法です。
この純粋培養の成功から、更に破傷風菌の毒素に作用する免疫抗体を発見したことをきっかけに、破傷風の血清療法を確立し、その名を世界に轟かせました。
血清療法とは、他の動物に弱めた毒素を注射して抗体を作らせ、その抗体を含む血清を人体に注射する治療法・予防法を指します。
結核の予防と治療に尽力
北里柴三郎は、6年間のドイツ留学から帰国して間もなく、福沢諭吉等の支援の下で私立伝染病研究所を設立。
この私立伝染病研究所は、後に国に寄付する形で国立化されています。
その翌年には日本初の結核専門病院である「土筆ヶ岡(つくしがおか)養成園」を設立し、結核の予防や治療に尽力しました。
ペスト菌を発見
1894年、香港で大流行したペストの原因を探るべく、北里柴三郎は政府に現地へと派遣されました。
そして見事、ネズミをはじめとする小動物やそれに寄生するノミからペストの病原菌となるペスト菌を発見しました。
ペストとは別名「黒死病」とも呼ばれ、感染者は高熱を発し、肌が乾燥して紫黒色へと化す、大変死亡率の高い病気です。
慶応大学に医学部を開設
私立伝染病研究所が国立化される際、北里柴三郎は所長を辞任し、自身で新たに北里研究所を設立し、細菌・医療の研究に励みます。
研究を続ける傍ら、私立伝染病研究所の開設に際して資金援助を受けた福沢諭吉への恩を返すために、北里柴三郎は福沢諭吉の設立した慶応大学に医学部を設立し、無給にて教鞭を執りました。
参考:https://www.kitasato.ac.jp/jp/kinen-shitsu/shibasaburo/lifetime.html
参考:http://www.jpma.or.jp/junior/kusurilabo/labo/1_history/detectors/koch/03.html
新五千円札:津田梅子
画像:新五千円札「津田梅子」 – 財務省HPより
新五千円札に採用された人物は津田梅子(つだ・うめこ)です。
現在の東京都新宿区南町にて生まれ、1871年の岩倉使節団に加わった女子留学生のひとり。
10年間に及ぶ留学経験から、日本における女性教育の変革に尽力しました。
岩倉使節団に参加
元・幕臣の父をもつ津田梅子は、1871年、当時6歳の最年少で岩倉使節団に参加し、女子留学生の一員としてアメリカへと渡りました。
留学中には現地の日本弁務館(現・大使館と殆ど同義)書記のアメリカ人夫妻の下で過ごし、英語はもちろんのこと、ピアノを習うなど、幼さ故に柔軟に対応し、アメリカの生活に慣れていきます。
留学開始から2年後の1873年には自ら望んでキリスト教の洗礼を受け、すっかりアメリカの生活や文化に溶け込むようになりました。
高等教育ではラテン語やフランス語の他、心理学や自然科学、芸術など、領域を問わず多岐にわたって学びました。
二度目の米国留学
津田梅子が留学を終えて帰国するも、当時の日本はまだ明治時代。
日本の古典的な考え方が根強く残っており、女性は家庭に入るのが世の常でした。
留学を共にした大山捨松(旧姓:山川)等は、自身のキャリアを活かす場が見つけられず嫁いでいく中、津田梅子は断固として結婚を拒否し、自身のキャリアを活かした活動を続けようとしました。
アメリカで男女平等の風土を感じながら育った津田梅子は、日本人女性の地位の低さに対して問題意識を抱いており、女性が自立し、強く生きられる日本社会の実現を思い描いていました。
とある夜会にて、岩倉使節団の一員であった伊藤博文に再会し、現在の実践女子大学にあたる桃夭女塾(とうようじょじゅく)の創設者・下田歌子を紹介され、桃夭女塾にて英語教師をすることに。
しかし、当時の女性教育は華族のお嬢様向けの「花嫁修業」や「お稽古」といったものであり、津田梅子の思い描いた女性教育とは遠くかけ離れていました。
思うように自身のキャリアを活かした仕事ができないでいる津田梅子の元に、再度留学の話が舞い込み、人生2度目のアメリカ留学を決意します。
現・津田塾大学を創立
津田梅子のもっとも分かりやすい功績が、1900年の「女子英学塾」の設立です。
二度目の留学から帰国したときには、日本世間においても女子教育の関心が高まっており、1900年には政府から「高等女学校令」「私立学校令」が公布されるなど、女子教育の環境もある程度整ってきました。
津田梅子は、留学先での外国人の友人や、共に使節団に参加した大山捨松らから支援を受けながら、今の津田塾大学にあたる「女子英学塾」を設立し、女性の社会進出に役立つ実用的な女性教育を施していったのでした。
参考:https://bushoojapan.com/tomorrow/2019/04/09/82424
参考:http://www.ifsa.jp/index.php?kiji-sekai-tuda.htm
新一万円札:渋沢栄一
画像:新壱万円札「渋沢栄一」 – 財務省HPより
新・一万円札に採用された人物は「渋沢栄一(しぶさわ・えいいち)」。
1840年、現・埼玉県深谷市血洗島(ちあらいじま)の裕福な農家に生まれました。
幼い頃から家業を手伝い、14歳にして家業である染料・藍玉製造のための藍をひとりで買い付けるなど、若くして商業活動を経験していました。
1864年からは一橋慶喜(後の江戸幕府第15代征夷大将軍・徳川慶喜)に仕え、慶喜が将軍になった際、幕府からフランスのパリ万博へと派遣されます。
パリ渡航中に、英米の経済学や資本主義をはじめとする金融の発展を目の当たりにした渋沢栄一は、反乱や倒幕を起こすのではなく、民間経済によって日本社会を立て直すべく活動しました。
「日本資本主義の父」と称される人物です。
日本初の銀行を設立
パリ渡航中にフランスの街の発展に圧倒された渋沢栄一は、その繁栄が民間による「株式会社」という仕組みによるものであると学びます。
今でこそ日本でも広く普及した株式会社制度ですが、江戸時代には市民が奉納した年貢や御用金によって国が事業を運営していたのでした。
この社会構造を一新すべく、渋沢栄一は日本で株式会社の制度を広めようと決心します。
パリから帰国すると、江戸幕府は倒幕され明治時代が到来していました。
この新時代の中で、渋沢は株式会社の仕組みを利用して日本初の銀行「第一国立銀行(現・みずほ銀行)」を設立しました。
ここでの「国立」とは、国の条例に基づくという意味です。
500社設立/インフラを整備
渋沢栄一が設立した会社の数はおよそ650社(渋沢栄一記念財団による計上)にものぼります。
特に、海運業や鉄道、ガスなどの社会インフラの整備に力を入れました。
渋沢栄一が関わった会社として有名なのが下記の会社です。
【渋沢栄一が関わった会社一覧】 |
●みずほ銀行 |
●東京海上火災保険 |
●王子製紙/日本製紙 |
●太平洋セメント |
●東急電鉄 |
●東京ガス |
●東京証券取引所 |
●帝国ホテル |
●東洋紡 |
●京阪電気鉄道 |
●大日本明治製糖 |
●キリンビール |
●サッポロビール |
●国士舘大学 |
上記の会社だけでもかなり有名な会社ばかりで、渋沢栄一の「日本資本主義の父」たる所以がお分かりいただけるのではないでしょうか。
関東大震災での活躍
関東大震災が起きた当時、83歳の渋沢栄一はすでに第一線を退いていました。
しかし、経済界でのネットワークを活用して臨時病院や避難所を設置し、更には孤児院を作り親を亡くした子どもたちを迎え入れるなど、高齢ながら衰えることのない行動力で日本社会を救いました。
国際交流「青い目の人形」
渋沢栄一は、生涯を通して国際交流にも尽力しました。
その最たるものは民間の国際交流を目的とした「青い目の人形」の活動であり、日本とアメリカの子どもたちが、お互いの人形を贈り合うという内容のものでした。
渋沢栄一は、経済人の枠にとどまらず、民間の力をもって日本の変革を成し遂げた第一人者として、現在の日本社会に多大なる影響を与えた人物です。
参考:http://www2.nhk.or.jp/school/movie/bangumi.cgi?p=general&das_id=D0005120219_00000
参考:https://togetter.com/li/1336198
肖像画の選定基準
この度、新紙幣の顔として選ばれた渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎。
いずれも各界で大きな功績を残した素晴らしき人物ですが、その名や功績を知らなかったという方も多いのではないでしょうか。
数多くいる日本の歴史人の中から、どのような基準で彼らが選ばれたのか気になる方も多いはず。
国立印刷局のホームページによると、選定基準は以下のとおり。
- 日本国民が世界に誇れる人物で、教科書に載っているなど、一般によく知られていること。
- 偽造防止の目的から、なるべく精密な人物像の写真や絵画を入手できる人物であること。
引用:国立印刷局ホームページ
輝かしい功績を残して広く認知された上で、精密な肖像画が手に入ることが選定条件となっているようですね。
新紙幣の裏面・その他デザイン
新紙幣の表には北里柴三郎・津田梅子・渋沢栄一が採用されましたが、それぞれの裏面にはどのようなデザインが施されるのでしょうか。
それらが選定された理由や、その出典などについてご紹介します。
新一万円札:富嶽三十六景
画像:[新壱千円札デザイン裏]神奈川沖浪裏 – 財務省HPより
新紙幣・壱千円札の裏面を飾るのは、葛飾北斎の「富嶽三十六景」より「神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)」です。
日本の芸術・浮世絵の代表格といえる有名な作品です。
世界の芸術家にも影響を与えたとされる作品でもあります。
新・千円札の裏面に採用された詳細な理由等は現在発表されていません。
新五千円札:藤
画像:[新五千円札デザイン裏]藤(フジ) – 財務省HPより
新五千円札の裏面には、藤(フジ)。
現在のところ、選定理由などは明らかにされていません。
しかし、フジは古事記や万葉集にも登場する植物であると同時に、日本産のフジは日本にしか分布しない固有種です。
まさに、国を象徴するにふさわしい植物ではないでしょうか。
新一万円札:東京駅丸の内駅舎
画像:[新壱万円札デザイン裏]東京駅丸の内駅舎 – 財務省HPより
新壱万円札の裏面には、東京駅の丸の内駅舎が採用されました。
東京駅には「東京」という地域名が付くことから、SNS上では「関東・東京の紙幣のようだ」とつぶやく声も。
東京駅丸の内駅舎については、財務省の担当者により選定理由が公表されています。
まず、10000円札は茶色を基調としたものになっており、裏面のデザインもそれに調和するかどうかも考慮する必要があります。
その点において、レンガ作りの東京駅は大変相性が良かった。
また、空路が発達していなかった時代には、東京駅は「東京の玄関」のみならず「日本の玄関」としての役割を果たしました。
その他、偽造防止の点など、さまざまな要素を盛り込んだ結果、東京駅に決定したそうです。
最新鋭!新札には世界初の技術も
今回の紙幣・硬貨のデザイン刷新に伴い、偽造防止のための最新技術が採用されました。
中には、世界初の導入となる技術も。
前回の紙幣デザイン変更が2004年11月であった為、およそ20年(流通開始の年:2004年から2024年)に及ぶ歳月で発展した産業技術を思うと、より高度な偽造防止が施されることが予想できます。
新・五百円貨幣の新仕様
画像:新500円貨幣デザイン – 財務省HPより
二色三層構造「バイカラークラッド」
画像:[新500円硬貨]バイカラークラッド – 財務省HPより
新・500円硬貨は、現行の500円玉に使用されているニッケル黄銅に加え、白銅及び銅を使用した二色三層構造を採用。
この貨幣の様式は「バイカラークラッド」と呼ばれ、異なる種類の金属を挟む「クラッド」技術で製造された円盤を、それとは異なる金属素材でできたリングに嵌め込む「バイカラー技術」で組み合わせた構造です。(画像参照)
異形斜めギザ
画像:[新500円硬貨]異形ギザ – 財務省HPより
現行の500円貨幣と直径は同じ。
ただし、現行の500円玉の縁が360度均一のギザであるのに対し、新・500円玉では異形の斜めギザを入れることにより、偽造防止の為の複雑化を実現しています。
新紙幣の新仕様
紙幣のデザイン変更には、大きく分けて2つの点で仕様変更が行われます。
一つ目は、偽造防止対策のための複雑化。
もう一つは、グローバル化や高齢化による社会変化に対応したり、目の不自由な方が識別しやすいよう考慮したりといったユニバーサル・デザイン化です。
高精細すき入れ
「すき入れ」とは、通称「すかし」と呼ばれ、紙幣の偽造を防止するために光に透かすと肖像が見えるよう施す技術です。
現行の紙幣に施されている「すき入れ」は、紙の一部分を薄くして模様を透かす「白すかし」と紙の一部を逆に厚くすき上げる「黒すかし」の両方を用いた「白黒すかし」と呼ばれる特殊技術を用いています。
現行の紙幣でさえ、「白黒すかし」による濃淡と立体感は世界ナンバーワンと言われています。
新紙幣には、これをも上回る、より高精細な「すき入れ」技術が施されます。
具体的には、すき入れによる肖像画の余白部分に細かい模様のすき入れを施すことで、より偽造を難しくします。
3Dホログラム
偽造防止技術として、3Dホログラムも新たに導入されます。
銀行券への採用としては世界初の試み。
肖像画が回転し、角度によっては顔の正面だけでなく側頭部まで見える仕組みになっています。
ちなみに、現行の紙幣では、数字と日本銀行マークが入れ替わるホログラムが用いられています。
記番号の桁
紙幣を識別する際に使用する記番号は、流通量が多くなっても対応できるよう、桁数を9桁から10桁へと変更予定。
マークの形状・配置
視覚が不自由な人のために、指先の感触で紙幣の種類を判別できるよう付するマークの形状及び配置を変更します。
また、マークの配置に関しては、新千円札・新五千円札・新一万円札の券種別で異なる位置にマークが付され、これによってより判別しやすくなります。
ユニバーサル・デザイン化のひとつとして挙げられています。
アラビア数字を大きく印字
日本社会における高齢化・グローバル化を考慮し、老眼に悩む高齢者や訪日外国人が紙幣を判別しやすいよう、アラビア数字が大きく印字されます。
現行の千円札では漢数字が大きく印字されています。
こちらも、今回の仕様変更におけるユニバーサル・デザイン化のひとつです。
ホログラム・すき入れの配置
新紙幣では、ホログラムやすき入れも、券種別で配置が異なります。
紙幣の種類をより判別しやすくする為の施策のひとつです。
最後の紙幣変更かも?
今回、新紙幣・新貨幣のデザインが発表されたことにより、歴史的人物やそれに関連する日本の歴史、更にはお金について学ぶ機会を得ることができたのではないでしょうか。
紙幣のデザイン見直しは、およそ20年に一度。
近年、技術の発達によって、クレジットカードはもちろんのこと、電子マネーや仮想通貨の登場により、実体のある紙幣・貨幣の存在意義が薄れてきているという事実が、少なからずあります。
今後20年での経済・産業の発達によっては、紙幣デザイン刷新は今回が最後になる可能性も考えられます。
新しく採用され、2024年より流通する新紙幣・新貨幣が、国民や来日する方々に広く愛されることを期待します。
最後までお読みいただきありがとうございます。
犬顔犬太